知多半島 廃 線

トンネル探検を終え247号線にて知多半島周回を楽しむ。 (知多半島を周回する247号線、師崎付近) 多くの人は海岸沿いの人気観光スポットにて写真を撮るのだろうが、敢えて山側へ行き. ここは名古屋に近い愛知県のローカル線の駅。異様に広いその構内は貨物輸送でにぎわった夢のあと、そして港へむかう道しるべ・・・, 武豊線は東海道本線の大府駅から知多半島へ延びているローカル線です。その武豊線の終点武豊駅は、日本の鉄道網を作るための資材拠点でもあった武豊港駅へと結ぶ貨物支線が遊歩道で残されています。, 愛知県名古屋市にある、名古屋駅。新幹線も全列車停車し、名鉄・近鉄等の私鉄も拠点とする中部地方の代表駅でもあります。地元では「名駅」とも呼ばれています。, 名古屋駅はJRの在来線だけでも東海道本線、中央本線、関西本線と3つの本線が合流するターミナル駅でもあります。この駅を拠点に三重・岐阜・静岡・長野はもちろん、果ては大阪や東京へ向かうことも可能です。, その名古屋駅周辺のJR路線図です。名古屋駅は3つの本線が合流する駅ですが、名古屋駅からさほど遠くない東海道本線の大府駅から武豊に向かう武豊線と呼ばれる路線があることを見つけます。, 武豊線は東海道本線の大府駅から分岐している地方交通線であり、終点の武豊まで19.3kmで10駅ほどとなります。日中は大府駅からの発着が基本ですが、朝と夕方には通勤輸送のために名古屋から武豊線へ直通列車も現れます。, 武豊線は全て単線となっており、行き違いが可能な駅で対向列車の待ち合わせを行う運航となっています。名古屋方面への通勤輸送のため2015年に電化されている通り、ローカル線こと地方交通線に分類されながらも乗客数はかなり多いです。, 大府駅から30分ほどで、武豊線の終点武豊駅に到着します。電車が止まる線路は駅舎にあるホーム1つに面した場所になります。, 武豊駅の駅舎です。日本家屋ほどの豪華なものでもなく、プレハブのようなシンプルさでもない・・・立方体に三角屋根を付けたような駅舎です。, 駅舎の中はこのようになっております。ICカード対応の改札機と券売機はありますが、窓口は閉じられて無人駅となっています。広告のような張り紙はなく、四隅に色あせた小学生の書道や絵画作品がありました。, 武豊駅の時刻表です。30分に1本が基本で日中は普通大府行き、朝夕は区間快速(武豊線内は全停車)の名古屋行き直通列車もあります。なお土休日7時32分発に快速列車(東成岩・半田・亀崎・東浦停車)が1本だけありました、この訪問後の2018年に廃止されています。, 武豊駅の地図です。実は武豊線は名鉄河和線と並走しており、その対極として知多武豊駅があります。知多武豊駅は武豊町の役場など中心部に位置しているのに対し、武豊駅は海岸側の工場地帯に近いという位置関係となっています。, JRの武豊駅を西へ10分ほど進むと、こちらの名鉄河和駅の知多武豊駅にたどり着くことができます。列車数はJRは1時間に2本に対して名鉄は1時間に6本と圧倒しており、乗客数も武豊町中心部に近いこの知多武豊駅の方が実は多いのです。JRと名鉄の競合関係は、東海道本線と名鉄名古屋本線が有名ですが、この知多半島でも名鉄有利の立場で繰り広げられていました。, 武豊駅の遠景です。ホーム側にある1本の他に2本の線路、そして使うことはないであろう空間が広がっています。武豊線は旅客輸送だけではなく、東成岩駅・東浦駅で衣浦臨海鉄道による貨物輸送が行われています。武豊駅でも国鉄時代に貨物輸送が行われていた歴史があり、余分にある線路と広い敷地はその名残です。, 武豊駅の車止めから先を見てみると、踏切跡とさらに先の道へと続いているようなフェンスが立ち並んでいます。これは武豊駅からさらに先へ延びていた貨物支線の廃線跡です。, 貨物支線の廃線跡は、ご覧のようなサイクリングロードになっている区間もあります。サイクリングロード以外においても案内看板が所々にあるため、基本道に迷うことはありません。, 武豊駅から歩いて20分弱、里中交差点で武豊港駅の跡にたどり着きます。武豊港は、「たけとよみなと」と読みます。地図を見てみると、周辺は海岸に面する発電所及び工場地帯となっています。, こちらが武豊線のかつての終点だった武豊港駅の跡です。現在は「転車台ポケットパーク」と呼ばれる公園になっています。公園入口に石碑があり、以下文字を起こしてみます。文字数が多い故、多少省略させていただきます。, この地は、明治十九年三月、県下で最初に開通した武豊線の起点武豊停車場跡地である。わが国初の鉄道が明治五年、新橋・横浜間で開業、(略)、中部地方における鉄道建設資材の輸入基地として武豊港が選ばれた。(略)明治十八年七月に着工され、翌十九年三月一日に33.2kmが開通した。武豊線は当初資材運搬専用線であったが、開通直前に旅客営業も許可されて開業とした。(略)明治二十五年、字金下に現武豊駅が設置されたため武豊停車場は営業を中止したが、昭和五年再び武豊港駅として復活し、貨物運輸営業を開始した。(略)モータリゼーションの波に押され昭和四十年ついに廃止となった。本年武豊線開通百年を迎え、町の発展に大きく寄与した武豊線を偲び、ここに記念碑を建立した。, そんな武豊港駅跡の一番の目玉が・・・この転車台です。ご覧の通り普通の線路1本だけの転車台とは異なり、中央で2つの線路が直交している前代未聞のスタイルです。しかも平成十一年に歴史探訪中の小学生が偶然この遺構を見つけたという経緯もあります。, 転車台の仕組みが書かれた案内図です。武豊港駅構内には蒸気機関車の他に、貨車をも方向転換及び転線させる必要がありました。その効率よく転線させるための方法として2対のレールを直角に配置した転車台動かし、直行する方向へ貨車を移動させる必要があったからと説明されています。でも「メリーゴーランド」というたとえはちょっと無理が・・・, 日中30分に1本しか来ない地方交通線でもある武豊線、なおかつ名古屋への通勤路線としても乗客数では名鉄河和線にも及ばない武豊駅。つまりは町の中心部から離れてでも海岸沿いの工場地帯に線路が敷かれたその理由・・・それは実際に訪問した際に出会った多くの遺構から読み取ることができました。, 武豊線の歴史はこの転車台から始まりました。日本の鉄道がまだ黎明期であったころ、武豊港から陸揚げされた鉄道資材を貨物輸送する必要がありました。武豊港の存在によって、今現在の日本の鉄道路線は形作られてきたのです。効率よく貨車を捌くために直交状に線路が交わった転車台は、その象徴ともいえるのです。, 特に名古屋駅を通る東海道本線をはじめとする中部地方の鉄道は、武豊線の武豊港から輸送された鉄道資材がもととなっています。武豊線は名古屋駅への通勤路線だけではなく、今の日本の物流を支える立役者だったのです。, さて武豊駅には、語らねばならない物語がもう1つあります。武豊駅のロータリーにあるこのモニュメント、「高橋煕君之像」と呼ばれる駅員の胸像です。昭和二十八年に台風で甚大な被害を受けた武豊駅で、自らを犠牲にして多くの乗客を救った一人の駅員をたたえるものです。, 昭和二十八年九月二十五日、襲来した十三号台風により武豊町塩田地区の護岸堤防が決潰し高潮の浸水によって鉄道路線が洗われたので、列車の運行が危険になった。この時旅客列車が東成岩駅を発車したことを知った武豊駅駅手高橋君には荒れ狂う濁流と暴風雨とをおかして発煙筒を打ち振って危険信号を送った。このため列車は危機寸前に停車して多くの乗客の生命は救われたのである。然し高橋君は哀れにも怒涛にのまれ悲壮な殉職を遂げてしまった。その尊い犠牲的行為に感激し、有志が相談して君の胸像を立ててこの功績を永遠に伝える。, 中部地方の鉄道資材輸送基地、そして乗客を守った駅員、ローカル線の孤立した終着駅に見える武豊駅は数多くの歴史を持つ駅でした。それを伝える広大な空間は、今日も静かに30分に1本だけ来る列車を待ち続けているのです。, 今必死にWordpressでのブログ執筆の勉強中です。投稿が遅れることがございますが、暖かい目で見守ってくれれば幸いです。フォローよろしくお願いいたします。Follow @TrainNostalgia. 住宅地の中を貫く高架橋、ここから先は、夢見たレジャーへむかうはず・・・名古屋鉄道知多新線は、知多半島の宅地およびレジャー開発のテコ入れとして1970年代に計画・建設された新しい路線です。そしてここ内海駅は知多新線の終着駅であり、名鉄が目指し 知多半島のおよそ北半分の東側を通る。. 『知多半島の半田(ハンダ)市の北部にある亀崎(カメザキ)地区を歩きます。元は知多郡亀崎町であったが、昭和12年の合併で半田市の一部となる。江戸時代は漁業、海運...』半田・武豊(愛知県)旅行についてfernandoさんの旅行記です。 概要. 以前雑誌で見た穴場の撮影スポットを探す。 里塚からの道で、名古屋からは知多街道と呼 ばれた半島への近道でした。まっすぐに進む と東海道線の高架橋に出ます。ここから左、 400㍍位の所に公園がありそこを登ったとこ ろに鷲津砦跡があります。その隣には知多新 四国巡りの87番、長寿寺。 錫、鉛、半田などの製造加工、販売なら三光金属へお任せください。 多様なサイズ・形状・配合が可能です。大量の材料調達による価格競争力で対応します。 地下鉄の地上車庫・・・そんな風景も珍しいですが、都会から一歩外れたこの地で、今日も地下鉄は都会を目指して走り出します。 市営鉄道局は市内の鉄道運営を行うことが基本であり、市外に出るときは他路線の接続という利便性を図るためにわず... ここは「産業道路」と呼ばれる8車線の地方主要道路、その名の通り貨物トラックが多く行き交います。そんな混雑する車を横目に、赤い電車は5分ごとに容赦なく・・・ 京急大師線産業道路駅、駅の脇を通る地方主要道「神奈川県道6号... 浅草から日光・鬼怒川へ・・・近年はスカイツリー押しですが、東武鉄道の代名詞ともいえる有名なフレーズです。その有名観光地をつなぐべく、隅田川を超える都心の壮大なる風景がそこにありました。 東武鉄道の「浅草」駅は、曲率半径が小さい... 発着する列車がいない時、この駅は一切人の立ち入りは許されない。この屋根なきホームに誰一人いない不思議なこの空間には、路線全体の安全を守るという大きな真理が存在する・・・ 名鉄名古屋本線西枇杷島駅、ターミナル駅名古屋駅... ここは東京某所にある駅、ホームは踏切によって途切れており、すべての車両のドアを開くことができません。踏切奥のホームは、車掌だけが降り立つことを許された聖域。 ホームからはみ出す個所の扉を開けさせない処置を、ドアカットといいます... 浅草から日光・鬼怒川へ・・・東武鉄道の有名なフレーズです。実はほかにも「赤城」「太田」「伊勢崎」「宇都宮」、果ては「会津高原」・・・その長大路線の出発点である浅草駅では、様々な列車が行き交います。 2017年に東武鉄道は観光列... 40年も姿を変えぬあなたの声を聴かせてくれないか・・・ヘッドマークに封印された彼女から聞こえてくるのは、傷心の旅人を慰めるオルゴールの旋律・・・ 特急踊り子号は、東京から伊豆地方でもある伊豆急下田および修善寺を結ぶ特... ここは名古屋市の中にあるとある駅、1.5kmしかない路線は、朝と夕方しか列車が動くことはない・・・ 名鉄築港線東名古屋港駅、名古屋港の一部大江ふ頭にある通勤路線です。名鉄築港線は、朝と夕方の工場関係者の輸送運航となっ... ここは名古屋に近い愛知県のローカル線の駅。異様に広いその構内は貨物輸送でにぎわった夢のあと、そして港へむかう道しるべ・・・ 武豊線は東海道本線の大府駅から知多半島へ延びているローカル線です。その武豊線の終点武豊駅は、... この電車は誕生から時を止めた夢列車。ヘッドマークに封印された永遠に若きその娘は、40年という長きにわたって傷心の旅人を慰め続けてきた・・・ 特急踊り子号は、東京から伊豆地方でもある伊豆急下田および修善寺を結ぶ特急列車... バス路線は河和と内海を結ぶルートを担っているほか、知多新線の先である師崎方面のルート, 1970年からコツコツ線路を伸ばしてきた経緯やこの高架橋の構造を考えると、内海駅から先の延伸も想定されていた, レジャー開発の重荷は知多新線においても例外ではなく、柱となるべき観光業も停滞、延伸や複線化どころか先行きもままならない状態, 温泉・海水浴場をはじめ観光資源の開発、施設の整備に邁進し、温泉小唄・内海音頭など観光宣伝, 1時間に3本という少なさで余裕のある2つのホーム、複線のための不思議な空間、そして先へ行くような形でありながら突然途絶える線路という不思議な光景. 名古屋鉄道知多新線は、知多半島の宅地およびレジャー開発のテコ入れとして1970年代に計画・建設された新しい路線です。そしてここ内海駅は知多新線の終着駅であり、名鉄が目指した開発の中核地でした。, 中部地方のターミナル駅、名古屋駅。新幹線も全列車停車し、名鉄・近鉄等の私鉄も拠点とする大変大きい駅です。地元では「名駅」とも呼ばれています。, 中でも名鉄こと名古屋鉄道は日本の大手私鉄で3番目に長い路線を有しており、名鉄名古屋駅を中核とした運行を行っています。ちなみに名鉄名古屋駅を始発および終着とする列車は少なくしており、主に各都市を発車した列車を名鉄名古屋駅に集結させて目的地へ向かわせる運行体制となっています。特に2005年に開催された万博や開港した中部国際空港へのアクセスを担ってからは、新名古屋駅から名鉄名古屋駅へと改称するなど大きな再編がありました。, そんな多くの旅行客が乗るようになった常滑線の常滑および空港線の中部国際空港は、知多半島に位置しています。一方で知多半島には河和線の河和および知多新線の内海のルートもあります。名鉄以外に目を向けると、JR武豊線の武豊のルートもあります。, 名鉄で知多半島へ向かう場合、太田川駅までは常滑線で同じ線路を使います。太田川で常滑線こと常滑及び中部国際空港方面と、河和線こと河和および内海方面に分かれることになります。そして中部国際空港開港によって、ここ太田川駅も高架化されて大きく様変わりしました。, さらに富貴駅で河和線とも別れると、線路は単線となります。しかし元々複線で建設する予定だったらしく、線路隣にもう1本の線路が敷けるような空間が残されている状態です。写真は知多新線に入った始めの駅、上野間駅です。, そして内海駅にたどり着いたとき、突然目の前に車止めが現れます。知多新線は、ここ内海駅が終点となります。, 内海駅は2つのホームを持つ高架駅であり、一見すると新しく整備された通勤路線のように見えます。しかし写真のように直線の線路が突然途切れるような光景であり、明らかに不自然な感じが拭えません。, こちらは内海駅の駅名標です。隣の駅は野間ですが、実は小野浦という駅が開業するはずでした。しかし利用客が見込めない予想となったため、開業自体がお流れになります。知多新線は複線どころか、駅の開業が中止になるほど人口が希薄な場所を走っているようです。, ホームを降りてみると、右端に2つの改札口があるだけでした。中央には多客時に対応するためらしき大きなゲートがありますが、ICカードが一般的になった昨今において使われることがあるのでしょうか・・・。, 出入口にあった時刻表を見てみますと、1時間で普通・急行・特急が20分間隔で出発するというこの上なくわかりやすい運行となっています。ちなみにどの列車に乗っても、知多新線内の全駅に停車します。, そして内海駅にあった運賃表です。隣の野間駅に行くだけで260円も取られてしまいます。これはいわゆるレジャープライスというやつでしょうか・・・、実は建設費用の影響によって、知多新線は割高な運賃となっているのです。, 内海駅のロータリーです。訪れたのが冬であり明らかにシーズンと真逆ということもありますが、かなり閑散としています。ここまで見てみてもわかりますが、明らかに人数と設備の規模があっていません。, そんな規模に遭わない内海駅の高架下には、商店街があります。しかし日中にもかかわらず、御覧の通りシャッター通りとなってしまっています。, ところで駅をロータリー側に出ると、すぐにバス停が1本・・・強い自己主張とも言わんばかりに立っております。南知多町を走るコミュニティーバス、「海っ子バス」のバス停です。, バス路線が書かれた地図を見てみると、内海駅は知多半島先端の町である南知多町唯一の駅です。バス路線は河和と内海を結ぶルートを担っているほか、知多新線の先である師崎方面のルートを走っています。これは明らかに知多新線の延長ルートであることを示唆しています。, 列車の前を見ていると、目の前に車止めが現れたのは先述の通りです。そして外から見ても工事が中断したような光景でした。ある意味ここまで無機質ですと、清々しいものがありますが・・・。, 内海駅入口から知多新線終端方向を見てみます。現在知多新線は、内海駅開業で全通したことになっています。しかし1970年からコツコツ線路を伸ばしてきた経緯やこの高架橋の構造を考えると、内海駅から先の延伸も想定されていたことがわかります。しかしこれから伸びるかどうかは、もう言わずもがなでしょう・・・。, 名古屋鉄道は2000年代から万博や中部国際空港の開港を機に、通勤や空港利用者を主軸とした運航体系になりました。写真はその時に登場した初の全車両指定席である特急列車「ミュースカイ」です。鉄道以外においても名鉄名古屋駅を中心とした事業によって、2027年のリニア新幹線を見据えて進んています。, しかし、一方で同時に行われたのが採算の見込めない事業及び路線の廃止や縮小でした。1970年代から行われた名鉄のレジャー開発は大きな成功を収めることができず、バブル崩壊によって重荷と化すことになるのです。そこで行われたのが不採算事業を切り離し、鉄道も100kmにも及ぶ路線を廃線にすることでした。写真は広見線の終点御嵩駅です。広見線の末端は廃線は免れたもののワンマン化されて今に至っており、支線だった八百津線は廃線となっています。そして岐阜に至っては、市内を走っていた路面電車がすべて消えました。, そのレジャー開発の重荷は知多新線においても例外ではなく、柱となるべき観光業も停滞、延伸や複線化どころか先行きもままならない状態となっています。さらに「新線」という名で建設費用を返すための加算料金が今なお存在しており、鉄道利用客を遠ざける要因にもなっています。, 内海駅のロータリーには、南知多地区で活躍した実業家内田佐七氏をたたえる石碑がありました。文字に起こしてみます。, 碑文内田佐七翁は、明治十一年、南知多町内海で生まれ、若くして内海町長・知多郡会議長を歴任し、南知多地域の開発、発展のために献身的に尽力し、昭和四十四年、九十二歳で生涯を閉じた。 翁は、「南知多」の宣伝に特に力を入れ、温泉・海水浴場をはじめ観光資源の開発、施設の整備に邁進し、温泉小唄・内海音頭など観光宣伝に努め、今日の礎を築いた。又、現地た乗合株式会社の前身である合資会社内海自動車を創設し、公共バス事業並びに陸海上運輸にも力を注いだ。更に、知多銀行の頭取も務めるなど、卓越した手腕による行政・観光・交通・運輸・金融・産業発展など住民の福祉増進に寄与した功績は甚だ大きい。 昭和四十一年、南知多町名誉町民第一号に推挙され、昭和四十四年には勲五等瑞宝章を受章、永年に亘り南知多地域の発展に努力した功績を末永く称え、ここに顕彰碑を建立するものである。 平成七年十一月三日 南知多町有志一同, 実業家が夢見たと思われる鉄道開通は、ついに1980年にかなうことになりました。しかしその後の状況はあんまりともいえるかもしれません。1時間に3本という少なさで余裕のある2つのホーム、複線のための不思議な空間、そして先へ行くような形でありながら突然途絶える線路という不思議な光景は、今後も続くことでしょう。知多新線の今後を決めるのは、今後南知多が発展するかどうかにかかっているのかもしれません。, 今必死にWordpressでのブログ執筆の勉強中です。投稿が遅れることがございますが、暖かい目で見守ってくれれば幸いです。フォローよろしくお願いいたします。Follow @TrainNostalgia. 豊川線; 西尾線・蒲郡線; 三河線; 豊田線; 常滑線・空港線・築港線; 河和線・知多新線; 瀬戸線; 津島線; 尾西線; 犬山線; 各務原線; 広見線; 小牧線; 竹鼻線・羽島線; 設備・機器・車両等のご案内とご利用方法. 概要. 質問日12月7日(木曜日)・8日(金曜日) 12月7日の午前は大村 聡議員から伊藤公平議員まで、午後は伊藤清一郎議員から藤井貴範議員までが質問を行う予定です。 愛知/知多半島 正社員の求人一覧ページです。テンプスタッフの求人検索サイト ジョブチェキ!では、愛知/知多半島 正社員の仕事を検索できます。5分で簡単に登録希望の仕事にエントリーできます。 名古屋への通勤・通学路線となっているが、元来は1886年(明治19年)3月1日に中山道鉄道 (後に東海道経由に変更され東海道本線)の建設資材を武豊港 (衣浦港)から陸揚げし運搬するために敷設された路線である 。 名所旧跡情報種類別:廃線・廃駅跡駅 名:三河線「三河一色駅」事業者:名古屋鉄道所在地:愛知県西尾市一色町前野東浦123構 造:地上駅 1面1線開 業:1926年9月1日廃 止:2004年4月1日2004年4月1日、名鉄三河線の碧南ー吉良吉田 「知多半島」 と言及されていた。 「ああ、なるほどね!そういえば知多半島の形状に似ているし、何よりも武豊線は知多半島を走る路線だ。」 と合点がいった。この中の島のようなものは、この池庭に取り入れられるべくして取り上げられたのだ。 こんにちは。 県内の温泉はほぼ行き尽くしたといっても過言ではない 「自称」温泉野郎のナリスケです。 当ブログの一同は心から温泉を愛しています。 「自分たちの好きな素晴らしい愛知県の温泉を紹介したい」 そんな想いで取材を重ねています。 今回行ってきたのは坂井温泉。 東海地方の心霊スポットと言えば、この「旧伊勢神トンネル」。愛知県では最も有名でしょう。もはや全国レベルの心霊スポットです。 愛知県豊田市の外れにあり、名古屋市内からでも車でおよそ1時間30分くらいの場所。名古屋人なら誰でも知っているという心霊トンネルで、仕事関係でボクも一度行ったことがあります。 現在は新しいトンネルが開通したため、ほとんど通行者はいません。 お昼の明るい時間帯に行ったんですが … 国道247号線から聖崎の海岸に向けてずんどこずんどこ歩いて行くと…確かに海の上に誰かいました! 愛知県は南知多町の聖崎です。やたらと弘法信仰が強いこの地で、なんと 海上に浮かぶ弘法大師像がある との情報を聞いたので行ってみました。. ここは名古屋に近い愛知県のローカル線の駅。異様に広いその構内は貨物輸送でにぎわった夢のあと、そして港へむかう道しるべ・・・武豊線は東海道本線の大府駅から知多半島へ延びているローカル線です。その武豊線の終点武豊駅は、日本の鉄道網を作るための資 おもしろローカル線の旅36 〜〜jr武豊線(愛知県)〜〜愛知県内を走る武豊線(たけとよせん)。地元の方々を除き、その名を聞いてすぐに思い出した方は、かなりの鉄道通といって良さそうだ。実はこの武豊線、1886(明治19)年開業と、愛知県で最も古い由緒ある路線なのだ。 ・知多半島方面の路線が5つある。 ・常滑線は、神宮前駅から太田川駅を経由して常滑駅まで行く路線だ。 ・空港線は、常滑線の先に中部国際空港(セントレア)が出来たので、延長されて出来た1区間のみの … ,新幹線通勤をきっかけにはじめたこのブログ、新幹線通勤が終わって平成から令和に変わり、令和2年4月で9年過ぎました。これからも鉄道関係、その他諸々、いろいろなことを書いていきます。 愛知お散歩ナビゲーターのほとんどうどんです。ダイエット目的の知多半島一周ウォークは4日目です。今日は3日目のゴール、名鉄河和線の河和駅からスタートです。知多半島の南端、師崎… 平成29年 第6回定例会一般質問項目. 名所旧跡情報種類別:廃線・廃駅跡駅 名:三河線「松木島駅」事業者:名古屋鉄道所在地:愛知県西尾市松木島中切構 造:地上駅 1面1線開 業:1926年9月1日廃 止:2004年4月1日訪問記2004年4月1日の名鉄三河線の碧南ー吉良吉田間の廃 知多半島の場合、街作りの基本は沿線だろう 武豊線も便利になったらさらにマンションが立つだろうね 892 名無し野電車区 2020/10/10(土) 01:32:09.00 ID:d/k2439i 知多半島の南端にあり、心霊スポットと名高い『岩屋寺(写真上)』というお寺の近くにある、通称たぬき寺を紹介します。 正式名所は中之院というのかな?ちょっとした霊場みたいなところです。 ここに … 河和線(こうわせん)は、愛知県 東海市の太田川駅から愛知県知多郡 美浜町の河和駅までを結ぶ、名古屋鉄道(名鉄)の鉄道路線である。. 9月の終わりに名古屋鉄道1dayチケットを使って知多半島を中心に駅を巡りました。 早朝の金山駅 前夜22:50に東京鍛冶橋駐車場を出たwiller express t351便に乗り、金山駅前に着いたのは5時ちょうど。今まさに総合駅自体が開くという時間でした。早速1dayチケットを購入して名鉄のホームへ。

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